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国際問題研究所紀要(愛知大学)第121号、235-241頁に掲載
(図を省略するなど、原文と若干異なる部分があるので、詳細は原文を参照)。
書評 鈴木康久『メキシコ現代史』明石書店
評者 丸谷雄一郎(経営学部助教授)
〔T〕
著者鈴木康久氏は東京外国語大学外国語学部卒業後、主に中南米を担当する外交官として活躍している。また、歴史研究家としても近代スペインの源流となった西ゴート王国に関する文献(1)を執筆している。本書は現在のメキシコ社会の基盤を形成したポルフィリオ・ディアス政権以降の政治、経済及び社会的な状況の変化について詳細に検討している。71年間に渡る長期政権が崩壊し、多様な変革が行われる中で、変革の対象となるメキシコの諸側面を理解し、今後の方向性を検討する上で非常に有益な文献といえる。
〔U〕
本書は以下のように構成されている。
はじめに
第1章 ポルフィリオの時代と近代国家建設
第2章 革命の第一段階と社会の混乱
第3章 革命憲法の施行時代:ソノラ人脈による国家建設
第4章 カルデナスの時代と革命の理想への回帰
第5章 安定成長を続けた「ポスト革命期」
第6章 ポピュリズムが支えた経済危機の時代
第7章 テクノクラートによる政治期:保護主義経済との決別
あとがき
第1章はメキシコ独立後の混乱を収束し、メキシコ近代化の基礎を築いたポルフィリオ・ディアス政権(1877-1911年)(2)について述べている。メキシコ近代史は対外資政策、農業政策、教会への対応という観点から検討できる。ディアス政権の対外資政策は外資に対して非常に寛容であり、シエンティフィコス(科学主義派)と呼ばれる欧州モデルを信奉したエリートを登用し、国産産業の育成、司法の独立、効率的行政、出版・報道の自由、大衆に開かれた教育制度を柱とした自由主義経済政策を採用した。農業政策は外国人移住者を誘致し、先住民所有の未開墾地を払い下げるなどして、大土地所有制度を促進した。教会への対応は第1期には土地の収用を認めたレルド法を教会にも適用するなど厳しかったが、1884年以降の第2期には教会所有地の収容は行われなくなり、寛容なものへと変化していった。
第2章はメキシコ革命初期の混乱期のマデロからカランサ政権(1911-1920年)について述べている(図1参照)。1911年に始まったメキシコ革命の初代の大統領は自由主義派のマデロであったが、政権基盤は弱く、サパタ、オロスコなどの急進的社会改革派、ウエルタ、モンドラゴン、フェリックス(ディアス前大統領の甥)などの保守派、双方と対立していた。マデロが暗殺されると、政権は保守派のウエルタ、会議派(急進的社会改革派)(3)のオルティス、ゴンザレスへと次々に交代していった。1916年、制憲議会において土地収用と資源ナショナリズム、農地改革、反教会主義、工場労働者の権利保障といった社会改革の内容を含む憲法が制定され、翌1917年の憲法施行日に護憲派のカランサが大統領に就任した。しかし、カランサ政権はその脆弱な政権基盤ゆえに憲法に掲げた理念を実行に移すことができなかった。そして、1920年に同じ護憲派のオブレゴンが労働者と農民の支持を集めて大統領になった。
第3章は革命憲法の施行期のオブレゴンからカージェス傀儡政権(1920-1934年)について述べている。オブレゴン以降の政権はメキシコ革命期の混乱の教訓から、政権安定のためには伝統的な支配階層の支持だけでなく、農民、新興企業家、工場労働者、中産階級を含めた幅広い階層の支持が必要であることを認識していた。そのため、1917年憲法の掲げた理念を実行するという名目で、ポピュリズム政策が実行された。オブレゴンの後継であるカージェス政権は安定の障害となる地方ボス(カシーケ)の軍隊を中央集権化し、財政面でも紙幣統一を行うことで中央集権化を進めた。カージェスは大統領を辞した後、後継政権を傀儡化し、ヒル、オルティス、ロドリゲスの各大統領時代には、あらゆる政治勢力を結集した与党PNR(国民革命党)を創設し、デダソ(大統領による次期大統領指名)による権力移行というメキシコ長期政権与党PRI(制度的革命党)による支配の原型を築いた(4)。
第4章は長期政権与党の基盤を築いたカルデナス政権(1934-1940年)について述べている。カルデナスは就任直後に農地改革法を公布し、大地主や外国人の土地を収用した。また、石油施設を国有化し、輸入代替産業の育成を図った。彼は農民組織や労働者団体を擁護して、1935年6月の政変で労働争議に厳しい対応を求めたカージェス派を閣内から一掃した。1937年12月、PNRは労働者組織(CTM)、農民組織(CNC)、公務員組織(FSTSE)、軍隊の4組織代表を含んだものに改組され、翌年PRM(メキシコ革命党)へと発展的解消をとげた。
第5章は安定成長を続けた「ポスト革命期」のカマチョからオルダス政権(1940-1970年)について述べている。カマチョ政権は「国民融和」を訴え、農民と地主、労働者と資本家、政府と教会という3つの対立を緩和するために中道政策を採用した。軍人組織を与党の構成メンバーから排除し、文民統制が推進された。これ以降、アレマン、コルティネス、マテオス、オルダスと続いた政権は政治的安定の中で経済インフラの整備に務め、堅実な財政運営を進めて高い経済成長率を維持し続けた。その結果、メキシコはエネルギーを革命の達成から経済発展へと方向転換し、米国との政治的経済的技術的連携により、産業も農業一辺倒から工業化へ転換していった。
第6章は経済危機をポピュリズムによって先送りしたエチェベリアからポルティージョ政権(1970-1982年)について述べている。エチェベリア政権は1968年10月2日の軍出動によって学生に多くの死傷者が出た「トラテロルコ事件」による暗いイメージを払拭するために、カルデナス政権に回帰するポピュリズム政策を採用した。しかし、輸入代替産業育成政策が行き詰まり、経済が停滞し、対外債務のみが拡大した。ポルティージョ政権は油田開発によって対外債務を解消しようとしたが、1981年の原油価格下落により、1982年債務危機に陥った。
第7章は対外債務危機後のデラマドリからセディージョ政権(1982年以降)について述べている。デラマドリ政権は輸入代替産業の保護主義政策から市場を重視する新自由主義政策へと転換し、1986年にはGATTに加盟し、経済は急激な回復を見せた。しかし、メキシコ大地震と石油価格の再下落(逆オイルショック)が回復しかけた経済を直撃した。政府は労働者、農民、資本家のそれぞれに呼びかけ、「経済連帯協定」を結び、インフレをようやく収束させた。サリナス政権はデラマドリの新自由主義政策をさらに発展させ、米国・カナダとの3カ国自由貿易協定(NAFTA)締結に向けて、経済開放政策を推進し、1994年1月1日NAFTAが発効した。しかし、サパティスタ民族解放戦線(EZLN)がNAFTA発効当日に南部のチアパス州で蜂起し、年末には対外債務危機が発生した。セディージョ政権はEZLNとの和平交渉を進めると同時に、対外債務危機にも対処し、政治改革を実行したが、それは野党勢力の躍進という結果をもたらし、2000年大統領選挙ではPAN(国民行動党)のビセンテ・フォックス候補が当選し、71年ぶりに政権交代が行われた。
〔V〕
この項では、本書の内容に関して評者が注目したポイントを指摘していく。
第1は各時代の権力者に対する詳細な解説である。本書はメキシコ現代史全体の流れを述べると同時に、大統領をはじめ、軍人、労組のリーダーなど各時代の有力者についてその経歴を詳細に解説しており、地縁が大きな比重を占めるメキシコの状況を理解するのに有益であった。
第2はメキシコ現代史において大きな役割を果たした軍、農業団体、労働組合、起業者団体、政党、マスコミなどの組織に関する詳細な解説である。これらの組織はメキシコ革命以降、大統領との間で家父長的な関係を形成し、その伝統は現在でもしっかりと根付いている。本書は各組織の誕生と発展に関して大統領との関係を軸に検討しており、メキシコの社会支配の構造を理解する上で有益であった.
第3はメキシコ革命期の詳細な解説である。メキシコ革命期は71年間の与党支配の基盤を築いた時代だけに重要であるにもかかわらず、日本において出版されたメキシコ史(5)の多くは混乱した事実のみを示し、詳細な解説はされてこなかった。本書は「メキシコ現代史」の核となるこの部分に関して、主要な人物の行動、関係及び経歴について述べており、メキシコの現代を検討する上でも非常に有益であった。
〔W〕
この項では、評者が注目した疑問点を指摘してみたい。全ての疑問点は包括的な枠組みの欠如に基づいていると考える。
第1は検討対象の恣意性である。本書は各時代の政権を中心に政権運営に関連する人物や組織を示しているが、その検討対象が一定の基準に基づいていないために、非常に恣意的になっている。
第2は各時代のつながりに関する検討不足である。本書は各時代を独立した枠組みで検討しており、各時代の関係を補足する部分が少ない。そのため、各時代のつながりが理解しづらくなっている。最後に現代史をまとめた年表が掲載されてはいるが、この年表も事実のみの羅列におわってしまっている。
第3はメキシコ現代史全体としての検討不足である。これは上記の2つの問題点によって生じたことである。検討対象が各時代において恣意的であり、その時代間のつながりが明確に示されていないために、メキシコ現代史全体としての検討も不十分になってしまっているのである。
これらの疑問点は、メキシコ現代史に関する包括的な枠組みを提示した上で、その枠組みに従って内容を若干組み直し、全体をまとめる補足部分を補い、さらに各章に補足的な図表を入れることで容易に改善できると考えられる。
〔X〕
Wで示した疑問点は本書の評価を些かも下げるものではない。2000年大統領選挙は71年ぶりの政権交代を実現し、『メキシコ現代史』は大きな転換期を迎えている。転換期において『メキシコ現代史』を改めて検証することは今後を展望する上でも非常に有益であり、PRI体制の確立から崩壊までを示した本書の試みはタイムリーであり、今後の更なる活躍が期待される。